仮説をたててもらい、それを実行してもらう
子どもにやめなさいといっても、やってしまう子がいたりしますよね。
それと同じで、人は自分で興味がでてきて、こうかもしれないという仮説をたてるとそれを検証せずにはいられない性質があるよう。
しかし、仮設もその人にとって、難しすぎるものだと、頭が拒否反応を示してしまい、検証をするということをやめてしまう。
なので、仮設はどれだけシンプルで簡単なデザインを作れるかが重要になってきます。
そして、そのデザインを作ったことを説明しないで、自分で考えてもらう。
そして、自分で考えたと相手に思わせる仕組み作りが相手に幸福を与える。
そうすると、相手は自分から進んでやるようになる。
自由だと相手に思わせておきながら、実は誰かがデザインされている中で行動している。
そういうことはよくあること。
ゲームだってそうですし、お金が必要なこの社会も、今書いているこのブログですら、誰かのデザインの中で動いている。
いたずら心をくすぐるために必要なことは説明しないこと。
デザインされた世界で、例えばこのブログ記事を書けばたくさんの人が見てくれるのか?
と思うと、書かずにはいられない。
ゲームだって、ある程度ストーリーがわかれば後は自由に行動する。その中で自分が何ができるのか、できないのか、がわかってくる。
お金の社会でも、お金があれば自由になれる。そのデザインされている社会で、どれだけのことができるのか。
全然関係のないことに見えるけれど、私夫(H)からすると似ていると感じている。
誰もが自分が自由に決定していると思っているが、実はそれは誰かがデザインした中で行動している。
私夫(H)もデザインされた生活の中で生きているし、ブログもYouTubeも知ってしまったら、やらずにはいられない。
とりあえず試してみよう。「おっうまくアップできた!!」、「今度はこの角度で撮ってみよう」、「編集はこうしてみよう」とブログも動画も誰かのデザインされた中で自由にしていると思っている。
不自由の中の自由に生きている。
今もうまくいたずら心をくすぐられてる。
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