より楽しくやっている、楽しいと思ってもらえるところに人は来る
人は大小あれどグループに属している生き物でしょう。
一人では生きてはいけないし、誰かとどこかで繋がっています。
一番身近なグループといえば家族でしょうか。家族の活動といえばキャンプにいったり、親戚の集まりにいったり、長期連休があれば海外旅行に行ったりだと思います。
もう少し広くなると私旦那(H)の場合は所属している会社や趣味でやっているサッカーのチーム、ボランティア団体などがあるのあるのですが、衰退していくグループや連絡がなくなったチャットグループ。
または、たくさんチャットや電話はやり取りがあっても、動きが鈍いグループなどさまざまなグループがあります。
私旦那(H)もグループの運営に携わったり、相談側にいたり、グループの末端にいたりと、活動しているのですが、そこで感じていることがあります。
それは楽しんでいるかどうか、グループ内でも楽しいと思ってもらえているかどうかです。
公共性があるもの、社会課題に取り組む場合、どうしてもやることなどが固くなってしまうことはないでしょうか。
つまり、防災訓練などが良い例だと思うのですが、地域や町で防災訓練を行うとなった時に若者が積極的に参加するのをみたことがありますか?
グループで運営している時に、グループ自体がお堅いものに見えたり、何をしているかわからないものには人々の理解を得るのは難しいと感じます。
実際そういうグループはそのグループ内だけでの自己満足の活動になっていたりすることが多いと私旦那(H)は思います。
悲しいことに成熟しているグループや長年続いているグループなどはメンバーが固定化されていて、新しい者が入りにくい、続きにくいグループになっていっています。
知らない間に、うちうちのルールなどを作ってしまって、グループ自体に新しい意見が入りにくいグループになってしまっています。
そして、新しい方は入らない、続かないグループは衰退し、無くなります。それが社会的に正しいと思うようなことをやっていてもです。
ですが、新しいこと、楽しいことを取り入れてやっているところは新しい人、意見が入ってきます。
そして、それがたくさんの人、新しい人に広まることによって、より新しい人がグループに加わります。
そうすると雪だるまが山を転がるように大きくなっていきます。
大切なのは少しづつでもいいので、雪だるまの山を転がし続けること。
つまり、新しいことと、楽しいと思える。ワクワクすることを考え、提供し、共有していくことがグループ活動に参加してもらうことに繋がると思います。
新しいこと、楽しいことを考えることはなかなか難しい。
ですが、今までにないものを作り出すということではありません。
今あるものを使って、あるもの×あるもので新しいものを作る。
それだと私たちでもできますよね。
えんぴつと消しゴムが別々だったのをえんぴつの先っちょにつける。
元々あったのをくっつけるだけで、人々のニーズが産まれるように、グループ活動もあるものとあるもので作り出すことができます。
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