怖いモノ知らずの次女(N)
最近自立して立つことが上手になってきている次女(N)ですが、いろいろなことに興味がでてくるようになりました。
その一つとしてゴミ箱があります。
どうして、ゴミ箱に興味がでてきたのかはよくわからないのですが、自分のオムツにすごく執着しています。
私たちはオムツを捨てる時はスーパーなどでもらった一斤袋で包んで捨てるようにしているのですが、その一斤袋ごとゴミ箱から取り出して、遊ぼうとします。
その袋が破れたら臭いもすごくなりますし、下手したら汚物もでてくる可能性もあると考えたら恐ろしくて、最近はゴミ袋ごと軽く締めるようにしています。
そういう経験をしているのですが、「知らないことは罪である」とかのソクラテスも言ったそうですが、知らないということは恐ろしいです。
そして、無知ということを知らないということがより恐ろしい。
なので、罪という表現をしたのかもしれないと私(H)は思っています。
子どもに包丁を持たせるとちゃんとした使い方を教えてあげないとケガをしますね。
寿司職人が包丁を持つと芸術品と呼べるようなお寿司を包丁を使ってネタを切ってくれ、握ってくれます。
大人になると核兵器やお金を持つ国や人がでてきます。
その人たちにも使い方がわからなければ、多くの人をケガさせたり、不幸にさせたりします。
「大きな力には大いなる責任が伴う」とスパイダーマンのおじいちゃんの方がおっしゃっておりましたが、その通りだと思います。
知識をみにつけて、やり方、使い方を理解して、いくこと、学びを止めないこと、興味・関心があることは大いに結構ですが、やろうとしていることや、使おうとしているものを理解することは大切だと私(H)は考えます。
次女(N)はまだ言葉もわからないし、もしかすると汚物入りオムツがオモチャなのかもしれません。
一方で大人になっても、触るな危険というものに対してなんの躊躇もなく触る人がいます。
言葉はわかるのに、説明すればわかるはずなのに、難しいです。
そういう人たちは知ることを拒否しているのかもしれません。
「もう年だから、新しいモノはわからない」
「私の考えとは合わない」
など、知る前に拒否する人が少なからずいます。
自分という人格が出来上がっている人は新しい知識や経験をこれ以上入れることをしません。
すると、成長などもそこでストップしてしまいます。
そこで、行動もしない人はまだ何も起きないのですが、成長がストップした方が行動力を発揮すると恐ろしい結果になったりします。
話などは聞かずに、自分の解釈だけで物事を進めて、みんなとの考えに距離ができる方周りにいませんか?
そういう方にはまず「知る」ということから教える方がよいのかもしれません。
コメント