お花は人生と一緒であると思います
最近知り合いのお店がオープンしたことでお花をたくさんいただきました。
私たちはお花はたくさんの人が持っていくだろうということで、傘立てを贈ることにしたのですが、そのお返しというか、お花がたくさんあるので分けていただいたという感じです。
今日は「敬老の日」ということもあり、昨日は妻(A)の実家にお花とお手紙を渡しにいきました。
お花はいつになってもいつもらっても嬉しいものですよね。
なぜ、お花はもらうと嬉しいし、プレゼントすると喜ばれる、自分の家に置いていても部屋が華やかになるのでしょうか。
私(H)は花は私たちの人生を形にして表したものだからこそ、人々から喜ばれるのだと思っています。
花は蕾から花が咲き、しおれて、枯れていきます。
人の人生も産まれて、成長して、老いて、死んでいきます。
人の人生と花とはとても似ているものです。花も生き物ですので、本質的な理は同じなのはむしろ当たり前なのかもしれませんが、人生というものを見れる貴重なものとしてみると花というのはすごく魅力的な生き物です。
人生は花と一緒で一生蕾のままの人もいる
花とは面白いもので、蕾のまま一生を終える時もあります。
それは様々な要因があると思いますが、水が足りなかったり、栄養がうまくもらえてなかったり、日光が足りなかったり、全てが満たされているのにも関わらず咲かない時だってあるはずです。
人生も一緒で、一生蕾のままで終わる人もいます。
嫌な言い方かもしれませんが、人も花もみんな大輪を咲かすことはできません。
つまりは人生も成功や幸せといったものを掴み取ることが出来る人とできない人がいるということです。
先ほどの花でも様々な要因で咲かないことがあると言いましたが、人も様々な要因で咲かないことがあると思います。
人間関係や職場環境、年齢や体質など自分で変えることができるもの、できないものとありし、それは花も一緒です。
同じ花瓶の中にいても咲く花と咲かない花があると思います。
それはいったいなぜでしょうか。
私(H)の個人的な意見をいうとそれは、「変わる」という意思ではないかと思っています。
人はいつまでも同じ場所にい続けることはできないと思います。
場所的な話をしているわけではなく、人生の立ち位置という話です。
ずっと一緒にいると思っていた人も離れていくし、それに慣れて、別の人とまた会う。
ずっと続いている関係もあれば、数時間で二度と会わない関係だってある。
その時、自分の人生を変える意志を持っている人は人生に大輪の花を咲かせることができるのだと思います。
何をして、どこにいて、誰といて、どうなっていたいのか、いつまでに、なぜそうなりたいのかとなんか5H1Wみたいな感じになってしまいましたが、少しでも考えておいて、強く願うことが意識や行動を変えて、最後は人生を変えるのだと思うのです。
今は若さだけで動けていますし、このブログをご覧になっている方も若さで活動している人も多くいると思います。
しかし、若さはいずれなくなります。
その時に私たちになにが残っているのか、誰もが老いる時に綺麗な花を咲かせていられるのか。
私(H)もそろそろ次の自分像を作っていかないといけないタイミングかもしれません。
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