今はモノで溢れている
ひと昔前とは違い、今はモノで溢れかえっています。
粗大ゴミの回収車をみてもらえたらわかると思いますが、ソファや洗濯機、冷蔵庫など見た目はまだまだ使えそうなモノがたくさん捨てられています。
自転車やタンスなどはちょっと部品を変えたり、直したりすればまた使えたり、乗れたりするものばかりです。
ですが、その部品を発注したり、そのお金、直したりする時間や、その部品代を考えると中古品を探せばもっと良いものがたくさん売っていたりします。
そうなのです。この世はモノで溢れています。
それなのに、毎年新商品は出続けています。
少し性能が変わった、色や形が変わったとして新しいモノが販売され、店頭に並び、去年まで新品だったモノが新古品となり、新古品だったものが、使われていないのに中古品となります。
それに伴って、価格は驚くほど安くなり、誰もが買えるようになっています。
探せば無料でも手に入るものがたくさんあります。
すると、壊れた、古くなったものは捨てて、新しいモノを買った方がいいという形になります。
モノを大事にしようという気持ちも薄れていくのかもしれません。
物理的な欲求は人を動かす力だった
でかい家に住みたい、高級車に乗りたい、ブランドモノがたくさん欲しいという欲求は人を動かす力になっていました。
それはモノが世の中にそれほどなくて、そのモノを持っているとたくさんの人がうらやましがり、優越感に浸ることができたからだと思います。
なので、できるだけ多くのモノを欲しい。
そのためにたくさん働いて、家を購入しよう!車を買おう!モノを買おう!という人を動かす力になっていました。
ただ、現代社会はどうでしょうか?
さきほどもあげましたが、モノがあふれ、探せば無料でも手に入る世の中に物理的な欲求で働こうと思う人はどんどんと減っていっているように思います。
物理的な欲求には終わりがない
物理的な欲求には終わりがないです。
車を高級車にする人は何台も持っています、購入する頻度も多いです。
家はさすがに一つかもしれませんが、それで満足している人は少ないかもしれません。
ブランドモノは新作が出ては購入して、色違いがあれば購入してを繰り返す人も多いです。
これは、物理的なモノでは欲求が満たされることが一瞬だからだと思います。
終わりのない欲求を満たすには
私(H)が考えているのは「体験」をすることだと思います。
物理的な欲求ではなく、有形、無形に関わらず、自身の体験は思い出として残り続けます。
話すこともできるようになりますし、写真などをみればすぐに楽しかった、苦しかった、幸せだった体験を思い出すことができます。
人生は思い出をどれだけ作ることができたのかだと考えています。
ブランドモノの写真を撮っても、後からみて幸せになるか?と聞かれたらどうでしょうか?
それよりは友達や家族で行った旅行先の写真や教室での作品作りに励んだことの方がより後から見たりすると幸せになっているかもしれません。
物理的な欲求はなくなっている。これからは思い出を作るために体験をする欲求が増えてくると思います。
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