今日は慰霊の日・沖縄
沖縄は今日はお休みです。
慰霊の日という特別な日を迎えます。
76年前の今日は戦争が終わった日であり、今日生きている私たちが戦争について考えたり、亡くなった方々を悼む日となっています。
この日が近づいてくるとあちこちで沖縄戦についての資料や映像などがみることができます。
戦争体験者が高齢化しており、語り部も少なくなっている中、私たち世代は戦争を知らない者です。
いくら資料を読んで、話を聞いていても戦争時代の苦しさ、恐ろしさを身を持って体験していない私たちは徐々に戦争に対する意識が薄れていっている気がしています。
私(H)のおじいちゃん世代は戦争体験者でありますが、お母さん世代はすでに戦争が終わっていて、その子である私たちの世代はすでにアメリカ基地があるのが当たり前の時代でした。
今も米軍の飛行機が実家の上を飛んでいますが、私(H)は産まれた時からその環境だったので、沖縄を離れて初めておかしかったんだと感じたものです。
沖縄戦の資料などを読んでいると、今の沖縄では想像もできないことが76年前はあったのです。
おじいちゃんやおばあちゃんは私たち世代には戦争の辛い体験などはしてほしくないし、今の幸せな状況が当たり前になってほしいと、私(H)には戦争については多く話してくれませんでした。
小学生の時におじいちゃん・おばあちゃんに戦争の話を聞こうという授業があった時も戦後の話はしてくれましたが、戦中の話はしてくれませんでした。
「沖縄戦についてはあまり思い出したくないし、つらい記憶を孫まで伝えたくないんだよ」と後でお母さんに聞いたのを覚えています。
今もどこかで戦争や内戦・紛争が起こっている
これだけの戦争を歴史的に行ってきて、誰もが戦争はしても誰も得しないし、多くの犠牲は権力者ではなく、戦いとなった戦地の方々。
とりわけ、これからの未来を作る子どもなどが犠牲になります。
それなのに、戦争はなくなりません。
争いはなくなりません。
戦争を始めた人ほど、最後まで血を見ないものだと私(H)は思っています。
だからこそ、戦争というものはなくならないのだと思うのです。
自分で体験して、目の前で自分の親しい人が亡くなったりした人は戦争を始める人にはならないと思うからです。
私にも家族ができ、この家族が離れ離れになったり、または亡くなったりと思うと、その引き金になりそうな争いごとはしないです。
人には欲望があり、その欲望がある限り争いごとはなくならない
少しでも、今の生活を良くしたい、楽して生きたいと人は常々思っています。
私(H)も思っています。
あれもこれも欲しい、買いたい、作りたい、やりたいなどの欲望があると、時にそれは他人のモノなどをとったり、とられたりして争いごとが起きます。
争いごとが起こると、どんどんと大きくなり、やったから、やり返す、やられたから、やりかえす、終わりがありません。
みんな本当は誰とも争いたくないはずなのに、戦っている、相手を傷つけたくないはずなのに争う。
例えば、アリの巣キットを購入したとして、その中でアリたちがお互いで殺しあったり、戦ったりしていたら、なんで同じアリたちでこんなにして争うのかと考えると思います。
まさに、他の動物からしたら、人間はなぜ争っているのか不思議だと思います。
今日は「慰霊の日」娘(N)にはまだ早いかもしれませんが、少しづつ戦争についても話していきたいです。
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