自分の母(A)は毎日おばあちゃんをみに行っています。
人の一生は誰かに見てもらうことで、始まり終わると思っています。
産まれたら親にみてもらい、結婚すればパートナーにみてもらい、老後は子どもにみてもらう。
みてもらうというよりは、お互いで成長しあうという考え方の方が正しいのかもしれません。
毎日、朝と夕方におばあちゃんのために顔を出して、お世話をする。
ゴールのないマラソンのような感覚でひたすら走っている。そんな感覚だと思います。
まだ母(A)はバリバリ元気なのですが、いつかは私たちがみるタイミングになると思いますし、私たちも老後は子どもにみてもらうのでしょう。
記憶を覚えていないおばあちゃんを介護する母
おばぁちゃんは記憶がたまに混乱してしまい、私たちの名前や出来事を忘れてしまう時があります。
それは毎日ではなく、たまになので、私たちの名前を忘れたままだと声をかけても反応がないというか、誰だったかを考えている感じ。
母(A)は自分の存在が忘れている時でもお世話をしているので、正直辛いと思います。
でも、もう慣れたと本人は言っていましたが。
認知症の考え方、身体が痩せていく考え方
老後になっていくと、なぜ身体が痩せていくのか、物覚えが悪くなるのかということに私の知人がこのようなことを言っていました。
「身体が痩せていくのは、自分の世話を誰かにしてもらいやすくするために、物覚えが悪くなるのは誰でもお世話をできるようになるため」
考え方の一つなのでしょうが、私もその考え方に少し共感しました。
私(H)としては、おばぁちゃんではなく、母(A)のフォローをしているつもりです。
おばぁちゃんの介護は母(A)や周りの親戚にお願いして、私(H)としては母(A)のフォローというか、一緒に過ごす時間を少しでも取るようにしています。
一緒に畑に行ったり、実家に顔を出したり、できるだけ話を聞くようにしています。
お互いが無理ない範囲で細く長く。
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